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イランで見つけたいろんなもの

イランにあった、日本じゃなかなか見られないものをご紹介。



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左:商店に売ってた鉛筆の一種。と、坊主の絵。
右:オレンジ味のすっきり炭酸飲料、ファン・・・じゃなくてファナ。


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イラン製ジープ。


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地殻開閉式地球。
ちなみに、見えにくいが、北米に「南米」、南米に「北米」と書いてある。


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本屋に張ってあったポスター。
おそらく、とにかくでかい物を集めてみました的な本の広告。


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何を言いたいのか、見当もつかない・・・。


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これが誰だかすぐにわかった人は凄い。

正解はフローレンス・ジョイナーである。

これは本屋で立ち読みした英語の教科書。
客がいたずら書きしたのではなく、この状態で出版されている。
アメリカ嫌いの教科書出版社が落書きしてそのまま出版しただけかと思ったが、カール・ルイスには手が加えられていない。

もしかしたら、彼女は男にされたんじゃないか。
イランでは宗教上、女性は顔以外の素肌の露出は認められていない。ところがジョイナーは水着のようなイラン的には実にきわどいユニフォームを着ている。これではイラン国内に悪影響を及ぼす。マズイぞ、と思った出版社(か誰か)は、ユニフォームを短パンにした上、顔と髪型を大幅に改変してしまった。

彼女が写真の上で男にされたのは間違いないと思う。だが、説明においてまで男にされているかどうかはわからない。左の文には、heと書いてあるが、ジョイナーは400mでは勝ってないので別の人物に関する説明だと思われる。
あの時はこの写真に気を取られて前後の文章なんて読まなかったのだが、今になってそれが悔やまれる。ちゃんと読めばよかった・・・。むしろこの本買うべきだった。

それにしても、こんなヘアスタイルにした上、コソ泥みたいな髭、おまけに眉毛まで繋げちゃうあたりに、イラン人の強烈な反米意識がうかがえる。
実に興味深い一枚だ。


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そんなとこからスケート選手が飛び出てくるとは。
日本人じゃ絶対思いつかないだろうな。


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レストランの老主人の机。


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偉大なる先人たちのために、いざ戦わん。


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高い所から逆さまに落っこちても、タイヤバリアを搭載してるから大丈夫。
この車は、ペイカンの次にイランでよく見るサイパ。


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世界の半分を見下ろすチャイハネで写真を撮っていたら、店員の兄さんが俺も撮れと。
ムキムキに見えるけど広背筋以外はガリガリだな。


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イランは筋肉至上主義国家。


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突然ですが、明日から1ヶ月ちょい山篭りしてきます。
このブログもその間休止します。本当は全部書き終わらせたかったんだけど・・・。
携帯はたぶん通じるからヤフーのメールとかmixiとかは使えます。
タブン・・・。
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by hide_o_81 | 2008-01-08 22:42 | 振り返る ~アジア編~  

イラン東部

テヘランからはまた一人になった。
ロバートは、エルブルース山脈を越え、カスピ海経由でトルクメニスタンへ向かった。彼とはその後会うことはなかったが、僕よりも1ヶ月以上早く北京にゴールしたらしい。
ジョズィは、テヘランで中央アジアのビザを取るためしばし停滞。その後タジキスタンのパミールを越え、中国・カシュガルに着いた所で僕と偶然再会。そこからチベットに入り、1/5現在バングラデシュにいるらしい。2009年に初来日する予定。家の前を通ったら泊めてあげましょう。


カヴィール砂漠をひたすら東進。
だんだん暑くなってきた。
人は相変わらず。大部分の親切な人と、一部のどうしようもない連中。そのどっちかしかいない。

9日間淡々と走り続けてマシュハドに到着。
イランの国教であるシーア派十二イマーム派の聖地である。
街の中心にあるエマーム・レザー廟(ハラム)では、熱心な信者たちが一心不乱に祈りを捧げ、泣き叫び、それはそれは凄まじい世界が展開されている。ここほど強く「宗教」を感じた場所は他にない。衝撃だった。


イランには、ビザ期限ギリギリの30日間滞在した。
イラン人のフレンドリーさのおかげで最初の印象はかなり良かったのだが、手のつけられない連中が現れるにつれてだんだんと印象が悪化。終盤には一刻も早くイランを出たいと思うようになった。最終的にはイランは最悪だと思うようになってしまった。これから行く予定だった人にも、あんなとこ行くもんじゃねー!なんて言ってた気がする。

が、今こうやって振り返ってみると、嫌なことよりも楽しかったことの方が圧倒的に多いことに気付いた。出会ったイラン人のうち、95%以上は親切な人だった。
あの時はもう2度と来ねー!と思ったけど、やっぱイランって結構いいかも。


日本では(ヨーロッパでもそうらしいが)メディアの影響で「中東=危険」という先入観がこびりついていて、しかもイランとイラクの区別がつかない人がたまにいるもんだから、イラン大丈夫なの?などとよく言われるが、はっきり言ってイランはそれほど危険な国ではない。日本と比べると若干変な奴が多くて、車に轢かれる確率も500倍くらい高いかもしれないが、犯罪に巻き込まれることなんてほとんどないと思う。僕がイランで一番身の危険を感じたのは、ハチミツ農家の隣にテントを張ろうとしてミツバチの大群に襲われた時である。


ちなみに。。。
10月に日本人大学生が拉致されたバムは、僕が通った道からは遠く離れた南東部にある(2つ前の投稿の地図参照)。
エスファハーンからそのバム、ザへダンを経て直接パキスタンに抜けるルートは、アフガニスタンにソ連が侵攻して以来ずっとアジア横断のメインルートになっている。近年中央アジアのビザが取りやすくなったため中央アジアルートがだいぶメジャーになってきたとは言え、そのルートを利用する人もたくさんいる。

当然僕もそのルートを通ってパキスタンから中国に入るプランも少し考えた。中央アジアに興味があったので元々そんなに乗り気ではなかったが、トルクメニスタンのビザが取れなかったらそのルートしかないし、実際にそこを通ってきた旅行者やチャリダーもたくさんいた。
が、イラン・パキ国境付近の治安が悪いのは有名な話で、危ない所には行きたくない僕は絶対通りたくない道なのである。

事件が起きたのが国境から結構離れた、しかも有名観光地のバムというのにはいささか驚いたが、情報収集を怠らなければそれほど危険を感じることなく旅行はできる国である。

と思う・・・。


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アラダンという街でモスクに泊めてもらった。
聖地マシュハドに向かう街道沿いなので、一晩中礼拝する人が出入りしていた。
一生懸命にぶつぶつとお祈りしている脇ではなかなか眠れない。
この写真は朝方近所から集まってきたおっさんたち。
もうちょっと笑ってくれよ・・・。
ちなみにこのアラダンは、アフマディネジャド大統領の故郷らしい。
一般的にイラン人たちのこの大統領に対する評判はあまり良くないが、もちろんここの住民は例外。


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ネズミ捕り中のポリス。
「俺はペルシア語と英語が話せるのに、お前は英語しかできないのはどういうことかね?」
わけわかんねーこと言ってないで、その手に持ってるパスポート返してくれ。


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道はまっすぐ、文字は九十九折れ。


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イラン東部ではこんな風に上下線が離れていることが多い。
対向車線が遠すぎて見えなくなることもあった。


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工事のおっさんたち。
後ろにちょっとだけみえる絨毯の上でチャイを飲んでた。
当然一緒に飲んだ。


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砂漠の中心でパンクを直す。


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TOPページの右上の写真を撮ろうとしてカメラをセットしたら、おっさんが止まりやがった。
「水くれ」と言うのであげたら、ぶふーっ!!と噴き出し、「お湯じゃねーか!コノヤロー」と。
当たり前だろー!暑いんだから。


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トラック野郎一家。メロンを丸々一個もらった。
この子と1時間くらい遊んだ。楽しかった。


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上の一家が去った後、待ち構えていたようにこのおじさんたちがやって来て、
「うち泊まってけよ」
この子はあまりしゃべらない子だった。


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町が見えない。
暑い・・・。



同じ所の動画。


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砂漠の中心でみかんをかじる。


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砂漠。
左の方にぼやっと蜃気楼のようなものが見えるが、当時は本当に湖かと思った。
結局ずーっと砂漠だった。


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偶像崇拝が禁止されているイスラム教だが、シーア派が多いイランではこういうポスターをよく見る。アリー・レザーだか誰だったか忘れてしまった。
つーかイランにはアリーっていう人が多すぎる。
12人の歴代イマーム(シーア派の指導者)のうち4人がアリーだし、僕が会ったイラン人にも3,4人くらいアリーがいた。


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でもイランの顔と言ったらこの2人。
革命を指導したホメイニと、現在のイランの最高指導者メガネイ。じゃなくてハメネイ。
恥ずかしながら、ハメネイはずっと前に死んだ人だと思ってた。
イランを出る3日前にTVでハメネイがしゃべっててびっくりした。


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イラン人はピクニックが大好きだ。
休みの日には木陰にシートを広げて弁当食ってる家族をよく見る。
中には彼らのように野郎だけでピクニックを楽しむ連中もいる。
彼らはチェリーやらチャイやらを振舞ってくれた上、家に泊めてくれた。
親切なおじさんだなーと思ってたら、なんと全員自分より年下だった。
信じられないが全員20代前半である。


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マシュハドのエマーム・レザー廟。
内部は撮影厳禁。行かなければ見られない。


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マシュハド中心部。
ペイカンペイカンペイカンペイカン・・・。
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by hide_o_81 | 2008-01-08 01:40 | 振り返る ~アジア編~  

イラン テヘラン&エスファハーン

テヘランの交通事情は凄まじい。
信号無視、逆走、無灯火、ウィンカー出さない、ウィンカー出すけど逆に曲がる、などはイラン中どこでも見られるが、テヘランはその車とバイクの数がまず違う。道路を走っていると、右から左から猛スピードの車やバイクがぶんぶん通り過ぎていく。ジュラシックパークで、走りながらヴェロキラプトルの群れに抜かされるようなそんな感じ。まじで怖い。
ロバートなどは、このテヘランのためだけにヘルメットと蛍光のベストを準備してきたほどである。

銃弾が飛び交う戦場のような街を走り抜け、どうにかお目当ての宿に辿り着いたときのロバートの一言は、
「We survived...」
だった。


テヘランは全く面白くない街だ。
見所はないし、街並みも普通だし、空気は悪いし、道を渡るのも命懸けだし。
そして宿の周りの店は95%くらいが車のパーツ屋。
最初は面白かったが、使える店は食堂と、くそ不味いサンドウィッチ屋と、小さな商店の3軒のみ。大都会なのに実に不便だ。

そんなわけで、宿にチャリを置いて400km離れたエスファハーンにバスで行った。
バス代はだいたい470円くらい。産油国なのでガソリンが安く(リッター10円)、公共交通機関もクソみたいに安い。地下鉄初乗りは13円、市内バス初乗りは3円くらい。隣のトルクメニスタンの市内バスは1円もしないらしい。


エスファハーンはかつて「世界の半分」と呼ばれたほど繁栄した街。
中心部のエマーム広場の周りにある豪華なモスク群を見ればそれがよくわかる。
街もテヘランほど騒々しくなくて居心地がいい。
2泊しかしなかったが、実際もっとのんびりしても良かったかな。


テヘランに戻るバスで猛烈な頭痛に襲われた。
バスが揺れるたびに激痛が走る。
未だかつてない頭痛。頭が破裂しそうだ。

どうにかテヘランの宿に戻り、そのままくたばる。
何度もうなされながらも、ひたすら寝続ける。
何か悪い病気に違いない。日本で何の予防注射も受けてこなかったのが悔やまれる。死ぬかも。死ぬなら日本で死にたい。飛行機代はいくらだろうか?成田から家まで帰れるだろうか…?

なーんて考えてたら、翌々日にはコロッと良くなった。

一体なんだったんだろう?全く原因がわからない。

結局その後再発することもなかった。

めでたしめでたし。



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テヘランの宿の前の通り。
信号が少ないので、流れが定常。
早朝から深夜までこの流れが止まることはない。
食料を入手するには、ここを渡らなければならない。
ちなみに一番手前のレーンは右奥に向かう方向のレーン。しかもバス専用。


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バザールの前。手前の黄色いお兄さんのようにして道路を渡るのがイラン流(≒中国流)。
一応言っとくと、一番手前の車がペイカン。その隣が旧型ペイカン。その斜め後がピックアップトラック型ペイカン(ペイトラ?)。その隣もペイトラ。さらにその隣は幌付きペイトラ。その後もやっぱりペイトラ。


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テヘランのバザール。
ここはまぁまぁ面白かった。


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日本語ペラペラのブレーキパーツ屋。
昔日本で働いていたと言うイラン人は結構多い。


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世界の半分、エマーム広場。


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夜のエマーム広場。
ペイカンが4台見える。


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アーリー・ガープー宮殿の音楽堂の天井。


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マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーというモスクのエイヴァーン(門)の鍾乳石飾り。
今ガイドブック見ながら書いてます。こんな名前覚えられん。


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マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーの内部。
下の凹みはミフラーブ。メッカの方角を示す。


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マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーの天井。



マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーの動画。


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マスジェデ・エマームのエイヴァーンの鍾乳石飾り。


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マスジェデ・エマームの天井。



マスジェデ・ジャーメの動画。


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マスジェデ・エマーム。外から。


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マスジェデ・ジャーメを探してたら見つけたモスク。
折れたミナレットが印象的。
結局マスジェデ・ジャーメは何故か発見できず。
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by hide_o_81 | 2008-01-06 20:40 | 振り返る ~アジア編~  

イラン西部

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トルコで出会ったベルギー人ロバートと共に国境を越えると、そこにもう一人チャリダーがいた。スイスからチベットを目指しているらしい。僕と同い年で名前はジョズィ。しばらく一緒に走ることにした。日・ベ・スの多国籍チャリダー軍団結成。楽しくなりそうだ。
だが困ったことに、ロバートはフランス語圏のベルギー出身、ジョズィは母国語がスイスフレンチであり、彼ら同士で話すときはフランス語が飛び交う。当然僕は蚊帳の外である。
まぁ、3人で話すときはもちろん英語なのだが、ジョズィはまだしもロバートはペラペラ。早口すぎて聞き取れず、やっぱり蚊帳の外になることも。


イラン人はトルコ人並にフレンドリーだった。親切だしいろんな所から声がかかる。トルコ東部よりも緑が多いし、道もいいし、気候も穏やか。

イランの第一印象は最高だった。

が、その後この国に対する印象は急激に悪くなっていった。

テヘランに近づくにつれて、クソみたいな奴が現れ始めた。
バイクに2ケツ3ケツで並走して、げらげら笑いながら罵声を浴びせてくる奴。
バイクで追い抜きざまに頭をペタペタ叩いて行く奴。
奇声を上げながら帽子を盗って行く奴。
サイドバッグを蹴飛ばしていく奴。
バイク20台ぐらいで取り囲んでちょっかい出してくる奴ら。
車で並走して、げらげら笑いながら携帯のムービーで撮影する奴。
わざと車の側面をチャリにぶつけていく奴(しかも家族連れ)。


最初は途上国でありがちな東洋人に対する嫌がらせかと思ったが、ロバートとジョズィも同じようにやられている。外国人はとりあえず馬鹿にするのが風習なのか?

一説によると、1979年のイラン革命が元凶らしい。革命でイスラムの原則に基づいた政治体制になり、教育も当然イスラムが(つーかイランがだな、この国の場合)最も優れているという方針で行われることになった。イラン人は世界で最も優等な民族であり、イランは真の大国であると。その結果、革命後に教育を受けた者は、自分たちが優れていて、それ以外は劣等民族だと思い込んでるという話だ。

なるほど、確かにクソなのはほとんど若者である。その一方で、おじさんおばさん以上、つまり革命以前の教育を受けた世代になると99%の確率でいい人だ。信じられないほど親切だ。
そんな親切なおじさんたちのおかげで、イランを「人間が誰一人いない国。なぜなら全員サルだから」などと表現せずに済んでいるのだ。

だが今後この国がどうなるのかが気になる。今の若者どもがおじさんになった瞬間にコロッといい人になるとは思えない。今の革命体制が変わらなければ、30年も経てば本当にこの国にはサルしかいなくなるんじゃないだろうか。アメリカと戦争する前に自滅するんじゃないか。


とまぁ、イランの若者についてメッタクソに書いたが、もちろん若者にも例外もいるわけで。
タブリーズで会ったペイマン君はなかなかイイ奴だった。
19歳の若さで10ヶ国語を操り、語学関係の書店を経営している天才だ。一日中街を案内してくれたり、家に招いてくれたり、イランのポップミュージックが入ったCDをくれたり・・・。

他にもピクニックに混ぜてもらったり、なぜかボールペンをプレゼントされたりと、素朴な若者もいたことは確かだ。

この国の未来は彼らに期待するしかないだろう。



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イラン最初の町マークー。


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イランの大地。
西部は意外と緑が多くて花も咲いてる。


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イラン人は人だかりがあれば必ず首を突っ込む。
人に道を尋ねようものなら、5分でこうなる。
最終的には英語を解する人がどこからともなく現れることが多い。
この時は、真ん中のメガネのおじさんが英語の先生で、結局家に招いてくれた。


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イランの国民的大衆車ペイカン。
これ以上ないほどにシンプルな(安っぽい)車。
イランでは信じられないくらい大量に走ってる。


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ペイカンペイカンペイカンペイカンペイカン・・・


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ロバート(右)とジョズィ(左)。
暑くなってきた。


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敬礼!偉大なるホメイニ師に背を向けて・・・。


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タブリーズのバザール。
イランの女性はいくら暑くても頭から足までヘジャーブをかぶる。法律で決められている。
黒が多いが、おしゃれな若者はカラフルな物をつけたり、ちょっとずらして前髪を出してたりする。実は下はジーンズをはいてる人が多い。


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バザールの靴屋。
こんだけ揃えちゃったら売りたくなくなっちゃうんじゃないの?


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ペイマン君の家で。
彼らは比較的近代的な一家なので、メシは男女一緒に食う。
田舎の保守的な家だと、男と女で分かれて食事を取る。いつもそうなのか、来客がいるからそうなのかはわからない。


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イランもトルコに引き続き景色がいい。


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田舎の村で水浴びしてたら子供たちが寄ってきた。


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大抵の標識には英語が表記されてるので助かる。
ペルシア語だけだと相当キツイ。


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イランのトラックはほとんどがボンネットタイプ。
かなりカッコいい。
でも実はアメリカ製だったりする。


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田舎の村。


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左:こう見えてドイツ人
右:こう見えて日本人
このドイツ人、インドまでチャリで行って、またチャリで帰る途中だという。
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by hide_o_81 | 2008-01-04 20:17 | 振り返る ~アジア編~  

トルコ東部

トルコ東部、クルディスタンに入った。
独自の国家を持たない世界最大の民族と言われるクルド人が住むエリア。

今までのトルコと同様に、親切な人がとても多い。
が、面倒な奴もちらほらと出てきた。

石を投げてきたり、マニー!マニー!とたかってきたり。


あるとき、みすぼらしい格好をした羊飼いたちが道路に上がってきて行く手をさえぎり、水くれ金くれ食い物くれだのと言い始めた。

その態度が気に食わないし、そもそも人にあげられるほど持ってないので無視して走り去ろうと思ったら、その頃一緒に走っていた52歳のベルギー人ロバートが、バッグからスニッカーズやらエキメッキ(トルコのパン)やらを出し始めた。羊飼いたちは一斉にロバートの周りに群がり、ロバートの手からそれらを奪い取り、礼も言わずにボリボリとむさぼった。ゴミをその場に散らかしながら。

一通り食い終わると、今度は僕の方に来た。
「あいつがくれたんだから、お前もなんかよこせ」
と。ふざけんなと思った。
でもしつこいのでずいぶん前に買って余ってた6Pチーズをあげた。


ショックだった。
トルコ東部に来て急に貧しくなった。人々の格好も家の作りも貧相だし、道路状況も悪い。羊飼いたちの目は必死で、恐怖さえ感じたほどである。トルコは西と東とではかなり差があるとは聞いていたが、これほどまでとは思わなかった。

だが、それよりもショックだったのは、自分の心の狭さだ。ロバートが気前良く食料をあげたのに、僕は「ふざけんな」である。今まで地元の人にメシをご馳走になったり家に泊めてもらったりと、数え切れないほどの親切を受けたのに、立場が逆になった途端、「ふざけんな」である。自分の懐の狭さが嫌になった。

とは言っても、あの時のロバートの行動が正しかったとは思わない。金や食料を与えることによって彼らは一時的に豊かになれるが、それだけである。結局何も進展しない。むしろ、外人にたかれば金をくれるなどと勘違いして、それが癖になってしまう。「モノ」じゃなくて「方法」を援助するやり方じゃないと彼らのためにはならない。
旅人は残念ながら青年海外協力隊じゃない。見るだけ見て、親切を受けるだけ受け、観光や買い物などで間接的にその国に金を落としていくだけの存在である。
結局は知ることしか出来ないのが旅人。


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トルコ東部の中心都市エルズルム。
はい、いちいちこっち見ない。


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田舎の村。モスクのミナレット(尖塔)が一番立派。


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いらっしゃーーーい。


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羊たち。


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2300mの峠への登り。
前を行くのはロバート。


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峠の下り。トルコとイランを結ぶ大動脈なのに未舗装。


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爽快ダウンヒル。


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クルド人の子供。
シャイ。


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アララト山が見えるはずなのだが、雲がかかっててほとんど見えず。


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イランまで35km。トルコ最後の町ドウバヤジット。


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エキメッキ屋。1本30円くらい。


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イサク・パシャ宮殿。


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白馬に乗ったおじ様。
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by hide_o_81 | 2008-01-02 19:25 | 振り返る ~アジア編~