旧ユーゴ&ブルガリア&トルクメニスタン領事館
ユーゴスラビアはかつて、「7つの隣国、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字により構成される1つの国」と言われたらしい。
その内訳は、
7つの隣国:イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシア、アルバニア
6つの共和国:スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、マケドニア
5つの民族:スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、マケドニア人、モンテネグロ人
4つの言語:スロベニア語、セルビア語、クロアチア語、マケドニア語
3つの宗教:カトリック、東方正教、イスラム教
2つの文字:ラテン文字、キリル文字
だそうで。
そりゃ何度も争いが起きるわ。
そんな争いの地を見てみたくなった。というか、見とかなきゃいかんと思った。
面白いものを見るだけが旅じゃないから。
ということで、トルクメニスタンビザの申請待ちの間に、旧ユーゴとついでにブルガリアを周ってきた。
列車1本とバス9本を乗り継いで、ベオグラード(セルビア)、サラエボ、モスタル(以上ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)、ドブロヴニク(クロアチア)、コトル、ポドゴリツァ(モンテネグロ)、スコピエ(マケドニア)、ソフィア(ブルガリア)をぐるっと。こんだけの国をわずか10日で周ったのでかなり駆け足だ。
まぁ、行って良かったかな。
色々勉強になったし。
詳しい感想は省略。
イスタンブールに戻ってきてすぐ、トルクメニスタン領事館に電話した。仮申請の時に、「ビザ取得の可否を本国(トルクメニスタン)に照会するから、10日後くらいに電話してくれ。その後に本申請に応じる」と言われたからである。そのために駆け足で10日で戻ってきたのである。
が、電話口の向こうで領事館のお姉さんは、「まだ本国から返答が来てないからちょっと待って。2日後あたりにまたかけて」と言う。「はぁ?」と言う間もなくガチャン!と切られてしまった。
何だよ。せっかく急いで帰ってきたのに…。もっとのんびりすりゃ良かった。
どうも話によると、その本国からの返答というのが、郵送で送られてくるらしいのだ。一体何時代だよ…。Emailでポン!じゃダメなのか?
で、2日後もう一度電話した。すると、「Not yet」のたった二言でガチャン!
くっそー!
嫌になってきたが、ここで我慢しないとトルクメニスタンに行けない。トルクメニスタンに行けないとその先の中央アジアにも行けない。何とか耐えねば…。
電話かけてはまだと言われを3,4回繰り返して、結局本申請できたのは、仮申請の22日後である。
しかもそんだけ時間と金(51US$)をかけたにもかかわらず、くれたのはたった5日間のビザ。チャリをアピールすれば7日くらいくれるという噂は聞いていたので頼んでみたが、無駄だった。
その上入国日を申請の時点で指定しなければならない。トルクメニスタンは5日で横断するのにギリギリの大きさである。ってことは、今決める入国日から1日でも遅れたら、横断はほぼ不可能だ。2ヵ月後、3700km先の予定を日単位で決めるなんて、10m先の針の穴に糸を通すようなもんである。
テヘランで取ればそんなに悩まなくてもいいのだが、テヘランでビザ待ちしたくないし、そのイランのビザ期限の問題もある。やはりここで取った方が無難だ。
仕方なくトルクメニスタン国境に着くまでのトルコとイランのルートおよび日程について詳細に検討を重ね、その結果、「キリがいいから」という実に理論的な理由で、6月1日が入国日として導き出された。
結果的には、見事に5月31日に国境のイラン側に到着し、翌日無事にトルクメニスタン入国を果たした。イラン側で出会ったスイス人2人組チャリダーと入ったが、この日は他にも別な国境からトルクメに入ったチャリダーがいた。やっぱみんな同じ事を考えるんだな。
だってキリがいいもん。
イスタンブール発ベオグラード行きバルカンエクスプレス。
サラエボのバスターミナル。中心部へ出るのに小銭が必要なのに両替所も無い。
第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件が起きたプリンツィプ橋。
ここでオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子がセルビア人に暗殺され、その後オーストリアがセルビアに対して宣戦布告して第一次大戦が勃発。
旧国立図書館だったかな?
銃撃の痕。サラエボには内戦の爪痕がたくさん残ってる。
スナイパー通り。内戦時、この通りで動くものは全て狙撃されたと言う。
1984年サラエボ五輪の会場。今は墓場。墓標には1994とか1995といった新しい数字しかない。
ボスニア南部の都市モスタル。この橋は一応世界遺産らしい。
モスタルはサラエボ以上に内戦の痕が残っている。
ドブロヴニク旧市街。迷路みたい。
城砦から見た旧市街。
スルジ山の山頂から見た旧市街。アドリア海の真珠と呼ばれているらしい。
内戦で破壊されたロープウェイの駅。
コトルの街。ドブロヴニクに似ている。
周辺の海岸はめちゃくちゃ景色がいい。フィヨルドみたいな地形になっていて、複雑な入り江の一番奥にこの町がある。
モンテネグロからアルバニアかマケドニアに行こうと思ったが、バスが無いと言われたのでベオグラードに戻る。
1999年のNATOによる空爆で破壊された建物。
セルビア正教会の総本山、聖サワ大聖堂。西欧の聖堂とはだいぶ違う形。
スコピエ発ソフィア行きバス。
旧ソ連以外の東欧では、セルビア、マケドニア、ブルガリア、そしてボスニア・ヘルツェゴヴィナ内のスルプスカ共和国(セルビア人共和国)でキリル文字が使われる。
ソフィアにあるアレクサンドル・ネフスキー寺院。
今まで見たキリスト教建築の中で一番カッコいいと思った。
by hide_o_81 | 2007-12-23 22:22 | 振り返る ~ヨーロッパ編~